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Pittsburgh PIRATES(ピッツバーグ・パイレーツ)

  • 2008-05-22 (木) 23:26

Pittsburgh PIRATESピッツバーグ・パイレーツ
1876年にピッツバーグに誕生したアレゲニーズが前身で、1887年にナショナルリーグへと加盟。1901年から03年まで3年連続リーグ制覇。1909年には初の世界一に輝く。1970年代には黄金時代を迎え、10年間で6度の地区優勝。1971年、1979年にはそれぞれ世界一の栄冠を勝ち取った。1990年からは3年連続地区優勝を飾るものの、近年は財政難のため、主力選手を手放すなど苦しいシーズンが届いている。1890年に他の球団から海賊のように選手の引き抜きを行ったことから、パイレーツ(海賊)というニックネームに決まる。

パイレーツ・球団データ

  • 創立 /1887年ピッツバーグ
  • 世界一 /5回(1909, 1925, 1960, 1971, 1979)
  • NL・リーグ優勝 /9回(1901, 1902, 1903, 1909, 1925, 1927, 1960, 1971, 1979)
  • NL・中地区優勝 /0回
  • NL・ワイルドカード /0回
  • NL・西地区優勝 /9回(1970, 1971, 1972, 1974, 1975, 1979, 1990, 1991, 1992)
  • 本拠地 /PNCパーク (2001~) PNC Park

パイレーツ・選手データ

# 投手 # 野手 # その他
24 トム・ゴーゼラニー(SP) 25 アダム・ラローチェ(1B) ニール・ハンティントン(GM)
45 イアン・スネル(SP) 12 フレディ・サンチェス(2B) 7 ジョン・ラッセル(Manager)
28 ポール・マホーム(SP) 19 ホゼ・ボーティスタ(3B)    
35 マット・モリス(SP) 2 ジャック・ウイルソン(SS) 16 ダグ・ミントケイビッチ(1B)
57 ザック・デューク(SP) 38 ジェイソン・ベイ(LF) 5 クリス・ゴメス(3B)
43 ダマソ・マルテ(RF) 13 ネイト・マクラウス(CF) 6 クリス・ダフィー(CF)
87 キム・ビュンヒュン(SP) 22 ゼイビア・ナディ(RF)    
55 マット・キャップス(RP) 26 ロニー・パウリーノ(C)    
           

パイレーツ・球団史
野球人生をピッツバーグに捧げたワグナー。2大リーグとなった19世紀初め、無類の強さを誇ったピッツバーグ・パイレーツ。かつては鉄鋼の街として栄えたピッツバーグの誇りとしてパイレーツは存在している。財政難から優勝からは遠のいている感はあるが、2001年に開場した新球場PNCパークで、再び黄金時代を作り出すことは出来るのだろうか。

ピッツバーグにプロ野球チームが誕生したのは1882年のことで、この年から創立されたアメリカンアソシエーション(ナショナルリーグに対する形で1891年まで存続)に参加したことに始まる。当時の愛称はアレゲニーズといい、創立1年目は39勝39敗でリーグ4位(6チーム中)に終わっている。2年目以降も優勝とは縁がなく、1886年を最後にアメリカンアソシエーションからの脱退を決める。

ナショナルリーグへ舞台を移した1887年、前年のリーグ優勝チームであるホワイトストッキングス(現在のカブス)と開幕戦を戦い、6対2で勝利を収める幸先のいいスタートを切ったアレゲニーズだが、チームは下位に低迷したままで数年を過ごす。1891年、前年にプレイヤーズリーグ(1年だけ存在したリーグ)でプレーしていたルー・バイヤーバウアーと契約したことが大きな波紋を起こした。

バイヤーバウアーは1889年までアメリカンアソシエーションのフィラデルフィア・アスレティックス(現在のアスレティックスとは直接的に関係はない)でプレーしていた名セカンドとして知られる選手であり、アスレティックスはバイヤーバウアーの保有権を主張。そして、アレゲニーズの行為を「海賊まがいの行為」と非難し、ここから海賊を意味するパイレーツを新たな愛称とすることとなった。

とはいえ、1893年にリーグ2位になったのが最高で優勝とは縁がなかった。しかし、ナショナルリーグのチームが12チームから8チームへ削減された1900年、消滅したルイビル球団からホーナス・ワグナー、フレッド・クラークらを中心とする14人の選手を獲得したことがパイレーツを常勝チームに変えたのである。クラークを監督兼任選手として新しいスタートした1900年のパイレーツはリーグ2位に躍進し、ワグナーは打率.381をマークして、自身初の首位打者のタイトルを獲得している。

兼任監督として評価の高いクラーク。アメリカンリーグも誕生し、メジャーリーグが2大リーグという形を成し始めた1901年、パイレーツはディーコン・フィリップス、ジャック・チェスブロ、ジェシー・タンヒルが投手三本柱として活躍し、ワグナーもタイトルこそ逃すが、打率.353、126打点という好成績を残した。チームも90勝46敗という成績で、球団初となる優勝を果たした。

1902年、若いジンジャー・ボーモントが打率.357で首位打者に輝けば、ワグナーも91打点、42盗塁で打点王と盗塁王を受賞する活躍を見せた。さらに投手三本柱がそれぞれ20勝以上をマークして、チームは103勝36勝という桁違いの勝率で2年連続のリーグ優勝を果たす。2位に27.5ゲーム差をつけるほどの圧倒的な強さを誇ったパイレーツだが、当時はまだワールドシリーズは開催されていなかったのである。

1903年、開幕前に投手三本柱のチェスブロ、タンヒルの2人をアメリカンリーグのハイランダーズ(現在のヤンキース)に奪われてしまうが、残ったフィリップスとサム・リーバーがそれぞれ25勝を挙げる活躍で、チームを3年連続の優勝へと導いた。そして、ワグナーも打率.355で2年ぶり2度目の首位打者となっている。

この年に初めてワールドシリーズが開催されることになるが、シーズン途中までは両リーグ間でその話し合いはほとんどと言ってなかった。8月頃になって、ナショナルリーグの優勝チームがパイレーツで、アメリカンリーグの優勝チームがピルグリムス(現在のレッドソックス)とほぼ決まりかけると、パイレーツのバーニー・ドライフォースオーナーがピルグリムスサイドにワールドシリーズ開催を持ちかけた。

様々な問題があったが、9月半ばにようやくまとまり、10月1日にワールドシリーズ第1戦が行われるに至ったのである。戦前の予想はパイレーツ有利と言われており、最初は3勝1敗と勝ち越していたが、ここからまさかの4連敗を喫してしまう。こうしてパイレーツは3勝5敗で記念すべき第1回ワールドシリーズを落としてしまった。

パイレーツの球団史を飾る名サードのトレイナー。1904年以降はジョン・マグロー率いるジャイアンツが台頭してきたこともあり、パイレーツは上位をキープしながらも優勝を逃すシーズンが続く。その中でもワグナーは1904年に首位打者となり、1906年からは5年連続で首位打者となり、チームを引っ張った。そして1909年シーズン途中に新球場フォーブスフィールドが開場。そのこけら落としとなる試合で前年に世界一となっているカブスと対戦するが、惜しくも2対3で敗れてしまった。しかし、シーズンではカブスを振り切って、シーズン110勝をマークして久々にリーグ優勝を果たす。

ワールドシリーズでの対戦相手は、この年の三冠王タイ・カッブを擁するタイガースであり、戦前から大きな注目が集まっていた。しかし、カッブは打率.231に抑え込まれる一方、ワグナーは打率.333、7打点、6盗塁をマーク。監督兼任選手のクラークも2HR記録する活躍を見せ、4勝3敗でパイレーツが球団史上初の世界一となった。シーズン11勝だったベーブ・アダムスは第7戦での完封含む3勝をマークする活躍を見せている。

その後は優勝から遠ざかったパイレーツ。1915年限りで16年間も選手兼任としてパイレーツの監督を務めてきたクラークが勇退。パイレーツ監督として記録した白星は1400個以上である。そして、首位打者8回という輝かしい記録を持つワグナーも1917年に現役引退。ワグナーは引退後もコーチとなり、パイレーツに残っている(5試合だけ監督も務めているが、結果は1勝4敗)。

1921年以降は3位以上をキープするだけの力のあったパイレーツは、1925年に16年ぶりにリーグ優勝を飾る。ワールドシリーズでは前年に世界一となっているセネタースと対戦。セネタースのエースであるウォルター・ジョンソンの前に抑え込まれ、一旦は1勝3敗と追い込まれるが、ここからパイレーツの反撃が始まった。2連勝で3勝3敗となった第7戦、序盤に4点のビハインドを背負ったパイレーツも、ジョンソンを打ち込んで終盤に逆転して2度目の世界に輝いた。

兄弟で殿堂入りを果たしているウェイナー兄弟。パイ・トレイナーやポール・ウェイナー、ロイド・ウェイナーというウェイナー兄弟を中心としたパイレーツは、2年後の1927年にもリーグ優勝を果たす。しかし、ワールドシリーズではベーブ・ルースルー・ゲーリッグを擁して「マーダラーズ・ロウ」と恐れられた強力打線を持つヤンキースとの対戦となり、あっさり4連敗でシリーズを終えてしまった。この時は試合前のヤンキースの打撃練習を見た時点で勝負はついていたといわれるほど、ヤンキースの強さが目立っていたのである。

この後のパイレーツは決して弱いチームではなかったが、優勝には縁がなかった。その中で1935年には当時ブレーブスのベーブ・ルースがフォーブスフィールドで1試合3HRを放ち、これがルースの現役最後のHRとなるということもあった。そのパイレーツにラルフ・カイナーが登場するのは、第二次世界大戦が終わった1946年のことである。

パイレーツが本拠地としていたフォーブスフィールドは、左翼が111メートルで右翼が91メートルと変則的な形をした球場であった。右打者には不利と思われたこの球場で右打者のカイナーはHRを連発。当時のカイナーはまだ23歳の新人ではあったが、23本のHRを放ち、いきなり本塁打王に輝いた。

このカイナーをより生かそうと、タイガースで晩年を迎えていたハンク・グリーンバーグを獲得した。1938年にはシーズン58HRを記録しているかつてのスラッガーは、カイナーの更なる成長に大きな役割を果たす。さらにレフトフェンス前にブルペンを設けることで、レフトまでの距離を約10メートルも縮めた。これは「グリーンバーグガーデン(後にカイナーズコーナー)」と呼ばれ、2人の長打力をより際立たせようとしたのである。

華々しくHR打者としてデビューしたカイナー。1947年、開幕からスランプに陥っていたカイナーはグリーンバーグのアドバイスもあり、この年51HRを記録して、再び本塁打王に輝いた。グリーンバーグは1年限りで引退するが、カイナーはこの後もHRを打ち続け、新人の年から実に7年連続で本塁打王に輝いている。4打数連続HRは2度も記録し、名実共にパイレーツの顔となっていたのである。

しかし、カイナーがHRを打とうともチームは下位を低迷。GMのブランチ・リッキーとの確執もあり、1953年シーズン途中の対カブス戦の試合前、対戦相手カブスへの移籍が告げられた。カイナー移籍と共にレフト側に設けられたブルペンは壊され、レフトへの距離は元の距離に戻っている。ちなみにそのカイナーは背中を痛めた影響もあり、33歳の若さで引退をしている。

優勝とは縁はないチーム状況の中、1955年にはプエルトリコ出身のロベルト・クレメンテが強肩外野手としてメジャーデビュー。さらにこの年、11年のマイナー生活を経て29歳という年齢でデール・ロングがメジャーデビューしており、この翌1956年には8試合連続HRというメジャー記録を打ち立てている。元々はHR打者ではないロングのキャリア初の大当たりであった。

1956年にはセカンドでの高い守備力を持つビル・マゼロスキーもメジャーデビューし、若い有望な選手が揃ってきた。1957年途中にはかつてパイレーツのセカンドを守っていたダニー・マートーが監督へ就任し、翌1958年にはリーグ2位への躍進を果たす。

1959年5月26日、対ブレーブス戦のマウンドに上がったハービー・ハディックスが延長12回まで完全試合に抑える快投を見せた。しかし、味方打線の援護もなく試合は延長13回へ進み、エラーから初めてのランナーを出してしまった。送りバント、敬遠でピンチが広がったところで、ブレーブス4番のジョー・アドコックにレフトスタンドへ運ばれしまい、ハディックスは負け投手となった。ちなみに本来なら0対3というスコアのはずが、1塁ランナーのハンク・アーロンが2塁を回ったところでベンチに帰ったため、記録上のスコアは1対0となり、アドコックの当たりは2塁打に修正されている。

ワールドシリーズで劇的なサヨナラHRを放ったマゼロスキー。1960年、パイレーツは33年ぶりのリーグ優勝を果たす。チームのエースとして着実に成績を残してきたバーン・ローが20勝をマークして、この年のサイヤング賞も受賞している。そして、ワールドシリーズではミッキー・マントルロジャー・マリスの「MM砲」を擁するヤンキースと対戦することになった。

第1戦ではマゼロスキーのHRやローの好投で勝利を飾るが、ヤンキースもエースのホワイティ・フォードが第3戦と第6戦で完封するなど、シリーズは3勝3敗で最終戦へもつれ込む。両チームが点を取り合う打撃戦となった第7戦、9対9と同点で9回裏のパイレーツの攻撃を迎えた。ここで、打席に入ったマゼロスキーが劇的なサヨナラHRを放ち、パイレーツは1925年以来の世界一に輝き、ピッツバーグの街は沸きに沸いたのである。

1970年のシーズン途中に新球場スリーリバースフィールドが開場した。フットボールもプレーできる球場であり、パイレーツはNFLの地元スティーラーズと併用した。開場したこの年、パイレーツは地区優勝を飾っている(リーグチャンピオンシップシリーズではレッズの前に3連敗で敗退)。翌1971年は開幕した4月に、ウイリー・スタージェルが月間11HRを記録する活躍もあり、2年連続で地区優勝を果たす。

チームの主砲に成長していたスタージェルはこの年、48HRを放ってアーロンを1本差で振り切り初の本塁打王のタイトルを獲得している。リーグチャンピオンシップシリーズではジャイアンツを3勝1敗で退け、ワールドシリーズではジム・パーマーを始めとして20勝投手4人に加え、フランク・ロビンソンブルックス・ロビンソンを抱えるオリオールズと対戦する。

クレメンテがメジャーリーグに残した功績は計り知れない。いきなり2連敗したパイレーツだが、第3戦で先発のスティーブ・ブラスが1失点完投勝利を飾るとここから3連勝を飾り王手を懸けた。第6戦こそ延長戦の末に敗れるが、第7戦では再びブラスがオリオールズ打線を1点に抑える完投でチームに世界一をもたらした。打線の中でもクレメンテは打率.414、2HRを記録する大当たりで、シリーズMVPを獲得している。

1972年も地区優勝を果たしたパイレーツだが、リーグチャンピオンシップシリーズではレッズの前に2勝2敗で迎えた第5戦でサヨナラ負けでワールドシリーズ出場を逃した。この年のシーズン最終試合で通算3000本安打を達成したクレメンテが、この年の12月31日にニカラグラ大地震救済のために飛行機に乗り、その飛行機がカリブ海に墜落する悲劇があった。そして、クレメンテは帰らぬ人となってしまったのである。

チームリーダーであるクレメンテの急逝にパイレーツは悲しみに暮れた。1973年、スタージェルは44HR、119打点で二冠王を獲得したが、チームはリーグ3位に終わった。翌1974年から2年連続の地区優勝を果たすが、いずれもリーグチャンピオンシップシリーズで敗れてしまう。1977年にはアスレティックスの監督だったチャック・タナーを選手プラス金額のトレードで獲得した。

クレメントの後継者として、強肩を売りにデーブ・パーカーがメジャデビューしたのは1973年のことで、1975年からはメジャー定着。1977年から2年連続で首位打者に輝き、1978年はMVPも受賞している。すでに外野からファーストにコンバートしていたスタージェルとパーカーがパイレーツ打線の中心であった。そしてタナー監督の元、1979年は久々にリーグ優勝を果たす。

ワールドシリーズで対戦したのはオリオールズである。1勝3敗と追いつめられたパイレーツは、第5戦で逆転勝ちを収めると、その後3連勝で世界一を勝ち取った。チームワークが売り物だったパイレーツのリーダーとしてまとめていたスタージェルがこのシリーズで打率4割、3HR、7打点をマークし、シリーズMVPに輝いている。ちなみにこの年はNFLの地元スティーラーズもスーパーボウルを制しており、ピッツバーグは沸きに沸いたのである。

スタージェルのパイレーツでの475HRは球団記録。その後、チームは優勝から遠のく中で1986年からジム・リーランドが監督に就任する。バリー・ボンズ、ボビー・ボニーヤの台頭と共にチーム力は上昇。そして、1990年から3年連続で地区優勝を飾る強さを見せつけた。しかし、いずれもリーグチャンピオンシップシリーズで敗れる不運にも見舞われている。特に1992年のブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは3勝3敗で迎えた第7戦、2対0とリードしながら最終回にひっくり返されるということもあった。

1992年オフにボンズがFAでジャイアンツへ移籍すると、再びチーム力は低下してしまう。財政的に厳しいこともある中で、ジェイソン・ケンドールブライアン・ジャイルズなど好選手も多い。期待される選手が期待通りの働きを見せれば、新球場PNCパークで歓喜が訪れる可能性はある。
(近日、大幅更新予定。。。)
<written by Kenji@webmaster>

パイレーツ・各年度別成績一覧

パイレーツ・球団名の変換史

  • Pittsburgh PIRATES (1891~現在)
  • Pittsburgh INNOCENTS (1890)
  • Pittsburgh ALLEGHENYS (1887~1889)

パイレーツ・マイナー組織

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