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Seattle MARINERS(シアトル・マリナーズ)

  • 2008-05-23 (金) 0:23

Seattle MARINERSシアトル・マリナーズ
シアトルには1969年の球団増設の際、現在のブリューワーズの前身シアトル・パイロッツがあったが、赤字が重なってわずか1年で移転が決定。これをシアトルが告訴したため、状況不利と判断したリーグ側は1977年の球団増設で改めてシアトルに球団を置くことを決定した。創設からメジャーリーグ史上初の14年連続負け越しと長い低迷期が続いた。1995年には初の地区優勝を果たし、1997年にもケン・グリフィーらの打棒爆発により地区優勝。2001年には新加入イチローの活躍もあり、メジャータイ記録となるシーズン116勝を挙げるが、ワールドシリーズ進出は果たせないでいる。ニックネームは一般公募により、海の町シアトルにふさわしいマリナーズ(水夫)となった。

マリナーズ・球団データ

  • 創立 /1977年シアトル
  • 世界一 /0回
  • AL・リーグ優勝 /0回
  • AL・西地区優勝 /3回(1995, 1997, 2001)
  • AL・ワイルドカード /1回(2000)
  • 本拠地 /セーフコフィールド (1999~) SAFECO Field

マリナーズ・選手データ

# 投手 # 野手 # その他
45 エリック・ベダード(SP) 44 リッチー・セクソン(1B) ビル・バベシ(GM)
34 フェリックス・ヘルナンデス(SP) 4 ホゼ・ロペス(2B) 7 ジョン・マクラーレン(Manager)
52 カルロス・シルバ(SP) 29 エイドリアン・ベルトレイ(3B)    
56 ジャロッド・ウォッシュバーン(SP) 5 ユニエスキー・ベタンコート(SS) 26 ホレイシオ・ラミレス(SP)
43 ミゲル・バティースタ(SP) 28 ラウル・イバネス(LF) 16 ウイリー・ブルームクイスト(3B)
54 ショーン・グリーン(RP) 51 イチロー(CF) 8 ジェレミー・リード(LF)
35 ブランドン・モロー(RP) 6 ブラッド・ウイルカーソン(RF) 12 マイク・ムース(1B)
59 エリック・オフラハティ(RP) 3 ホゼ・ビドロ(DH) 9 ジェフ・クレメント(C)
20 JJ・プッツ(RP) 2 城島健司(C)    

マリナーズ・球団史
一気にメジャーリーグのスター選手に躍り出たイチロー。かつてはメジャーリーグを代表する大物選手がいようとも低空飛行を続けたシアトル・マリナーズ。しかし、今ではイチローを中心に優勝を狙えるチームとして、ワールドシリーズ出場も決して夢ではない位置にいる。観客動員数も悠に300万人を超えるなど、シアトルにとってマリナーズは街のシンボルとしての役割を充分に果たしていると言えるだろう。

シアトルに初めてメジャーリーグのチームが誕生したのはマリナーズが最初ではなく、1969年のアメリカンリーグのエクスパンションで誕生したパイロッツというチームが最初である。気候的に恵まれた土地ではないシアトルに生まれたチームは翌1970年シーズン開幕を待たずに、ミルウォーキーに移転してしまった。パイロッツが本拠地としたのはシックススタジアムという球場で、客席を増設してもわずか2万5千人というキャパシティしかないのも災いした。

パイロッツを1年で失ったシアトルはこの移転を告訴する一方、新たな球団誘致にも動いた。そこで1972年にはドーム球場の建設プランを立ち上げ、1976年3月にはキングドームが完成する。そして、数多くの人々地道な活動が実り、1977年にトロントと共にシアトルに新球団が誕生することになった。愛称は1万5千以上の候補の中から、海の街であるシアトルを象徴するかのように水夫を意味するマリナーズに決まっている。

こうして1977年に船出したマリナーズ。監督には2年前にレッドソックスをリーグ優勝に導いたダレル・ジョンソンを迎えた。記念すべき開幕戦のマウンドに立ったのはディエゴ・セギーである。セギーは1969年にパイロッツの一員として開幕投手を務めており、アスレティックス在籍時には最優秀防御率のタイトルも獲得している投手である。さらにはパイロッツとマリナーズの両球団に在籍した唯一の選手でもある(その21年後には息子のデビッド・セギーもマリナーズの一員となっている)。

メジャー史上初、親子でスタメンに名を連ねたグリフィー親子。57762人もの大観衆を集めた開幕戦は、エンゼルスの前に0対7で敗れてしまった。シーズンも64勝98敗で地区7チーム中で6位に終わり、地区首位のロイヤルズから38ゲームの差が開いていた。そんなチーム成績の中でも観客動員数は130万人を超えるなど、スタートとしては順調であったのかも知れない。なお、エクスパンションドラフトで1位指名を受けたルパート・ジョーンズがオールスターに選出される活躍も見せている。

1979年には晩年のウイリー・ホートンが在籍し、フル出場して通算300号HRを含む29HR、106打点をマークし、翌1980年にマリナーズでキャリアを終えた。さらに1982年には両リーグでサイヤング賞を受賞しているゲイロード・ペリーが移籍して、マリナーズの一員として通算300勝目を達成している。

1984年は新人の2人がチームを引っ張った。ファーストを守るアルビン・デービスは打率.284、27HR、116打点という打撃を見せると、左腕投手のマーク・ラングストンは17勝10敗、防御率3.40、204奪三振を記録する好投を見せた。新人王投票ではデービスに軍配が上がったが、ラングストンは最多奪三振のタイトルを手にしている。しかし、人気選手は登場するマリナーズも、チーム成績は常に勝率5割を下回るという苦しい状況であった。

変化が現れたのはジム・ラフィーバーを新監督に据えた1989年からである。シーズン途中にラングストンと交換で、当時はまだ無名だったエクスポズの長身左腕のランディ・ジョンソンを獲得。さらに1987年のドラフトで全米1番目の指名を受けたケン・グリフィー・ジュニアも19歳でメジャー昇格を果たした。ジョンソンは翌1990年6月2日の対タイガース戦で球団史上初のノーヒッターを達成し、大器の片鱗を早くも見せつけている。

マリナーズを常勝軍団に変えたピネラ。そして迎えた1990年8月31日、レッズから40歳になるケン・グリフィー・シニアを獲得。ジュニアと共に親子で先発メンバーに名を連ねる史上初の快挙も達成し、9月14日のエンゼルス戦では親子で2者連続HRも記録している。話題の豊富なマリナーズは1991年シーズン、83勝79敗の勝率.512をマークして球団創立以来14年連続負け越しという不名誉な記録にピリオドを打った。観客動員も200万を突破するなど、浮上のきっかけをようやく掴んだといえる。

しかし、ラフィーバーが球団との衝突から1991年限りでユニフォームを脱ぐと、1992年はビル・プルマーを後任に据えるが、地区最下位に沈んでしまう。そこで1993年からは新たにルー・ピネラを新監督として迎えることになった。ピネラは1990年にレッズを世界一に導いた経験があり、その手腕には大きな期待がかかった。

1993年開幕早々の4月23日、クリス・ボジオがノーヒッターを達成するなど幸先の良いスタートを切った。ボジオは初回に最初の2人を四球で歩かせただけで、その後の27人を凡退に打ち取るという準完全試合といってもいいほどの内容だった。すでにチームの主力に成長していたグリフィーはメジャータイ記録となる8試合連続HRを達成するなど、長距離砲としての才能を遺憾なく発揮し始めた。さらに前年に首位打者を獲得したエドガー・マルチネスもおり、マリナーズは82勝80敗で2年ぶりに勝率5割を突破している。

ストライキで中断された1994年、開幕から話題をさらったのはグリフィーの驚異的なHRペースだった。結果的には8月半ばでシーズンが終わってしまうが、その時点で40HRを記録しており、仮にシーズンが続いていれば、当時のメジャー記録であったロジャー・マリスのシーズン61HRを抜いていたかも知れない。その中でグリフィーは自身初の本塁打王のタイトルを手にしている。

マリナーズ時代のジョンソンも恐ろしいピッチングを見せていた。しかし、明るいニュースばかりでなく7月にはキングドームの屋根が剥がれ落ち、これが元でマリナーズはビジターでの試合が続けざるを得ない状況になってしまう。この事故は死者も生み出してしまい、キングドームの老朽化が進んでいることを如実に現す結果となった。

1995年、5月の段階でグリフィーが守備中にフェンスに左手首をぶつけてしまい、骨折で離脱。8月に入った時点で地区首位のエンゼルスとは13ゲームもの差が開いていたが、そこからマリナーズの快進撃が始まった。そして、全日程が終わった段階でマリナーズはエンゼルスと同率首位で並んだ。

そして、ポストシーズン出場を懸けて両チーム間でワンゲームプレーオフが行われる事になったが、マリナーズの先発がジョンソンであり、エンゼルスの先発はかつてジョンソンの交換相手であったラングストンであった。2人の投げ合いは序盤まで投手戦で進んだが、中盤でラングストンが崩れてしまい、マリナーズは9対1と大勝して球団史上初の地区優勝を飾ることになる。

初めてのディビジョンシリーズではヤンキースと対戦。敵地ヤンキースタジアムで2連敗した後、地元キングドームで2連勝して、勝負は第5戦へもつれ込んだ。試合は延長戦にもつれ込み、9回からはジョンソンがリリーフのマウンドに立つ苦しい展開。11回表にそのジョンソンが1点を奪われてしまうが、その裏にノーアウト1塁2塁のチャンスを掴み、ここでマルチネスがレフト線を破るサヨナラ2点タイムリーを放った。劇的な形で勝利を決めたマリナーズだが、このシリーズでは、シーズンの半分を怪我で棒に振ったグリフィーが5HRと大当たりしている。

3年連続の40HRという打棒を見せたビューナー。勢いに乗るマリナーズは、インディアンズとのリーグチャンピオンシップシリーズに臨んだ。第3戦は延長11回の激闘を制して、一時は2勝1敗とリードするもののそこから3連敗に終わり、ワールドシリーズ出場はならなかった。しかし、ジョンソンはこの年、球団史上初のサイヤング賞を獲得するなど、メジャーを代表する左腕としてその名を揺るがないものとしている。

1996年には注目のアレックス・ロドリゲスがメジャーに定着。1993年の全米1番目の指名を受けたロドリゲスは期待通りの成績を残した。146試合に出場し、打率.358、36HR、123打点という文句の付けようのない成績で、歴代3位となる21歳3ヶ月という若さで首位打者に輝いた。この年の215安打、141得点はショートストップとしてはメジャー新記録となるものである。

球団史上最高のシーズン85勝をマークしたこの年も、エースのジョンソンの離脱もあり、優勝は逃した。とはいえ、グリフィー、マルチネス、ロドリゲス、ジェイ・ビューナーダン・ウイルソンの6人がオールスターに選出されるなど、スター選手が集まった魅力的なチームとなったマリナーズ。

1997年、自慢の強力打線が大爆発した。グリフィーはキャリア最高の56HRをマークし、ビューナーは3年連続の40HR以上を記録。チーム全体でマークした264HRはメジャー新記録でもある。チームも90勝72敗で2年ぶりに地区優勝を飾り、観客動員も初めて300万人を突破した。期待されたポストシーズンであったが、オリオールズとのディビジョンシリーズに1勝3敗で敗れている。

2度も首位打者を獲得しているマルチネス。1998年、シーズン中の7月31日にジョンソンのアストロズへの移籍が決まった。オフにFAとなることもあり長期契約を結ぼうと動いていた球団との中で衝突があったのも原因である。打撃力は一流だが、投手陣の軸を失ったチームは勝率5割を割ってしまう。2年連続56HRもマーク・マグワイアサミー・ソーサのHRレースの影に隠れてしまった。その中でロドリゲスは42HR、46盗塁をマークして、メジャー史上3人目となる「40-40」クラブ入りを果たしている。

1999年は7月15日に新本拠地セーフコフィールドが開場された。開閉式の天然芝球場に移り、ここからマリナーズの新しい歴史が始まることになる。そして、ジョンソンと交換でやってきたフレディ・ガルシアが新人ながら17勝をマークするなど、嬉しい台頭もあった。

2000年開幕前、マリナーズの顔的な存在だったグリフィーが長期契約のオファーを断り、レッズへの移籍が決まってしまう。その中でパット・ギリックというGMが就任し、新しいチーム作りを開始する。ギリックとブルージェイズ時代に親交があり、さらにワシントン州出身のジョン・オルルドを獲得し、グリフィーの交換でマイク・キャメロンを獲得。先発としてはオリオールズに決まりかけていたアーロン・シーリーを、メディカルチェックの隙間をついて契約を交わした。

さらには日本からクローザーの佐々木主浩を獲得した。佐々木は期待に応えてメジャーの新人記録を更新する37セーブを挙げる活躍で、新人王を獲得している。マリナーズは地区2位ながらワイルドカードとしてポストシーズンに進出を果たした。ディビジョンシリーズではホワイトソックスをスウィープしたが、リーグチャンピオンシップシリーズではヤンキースの前に涙を飲んでしまった。

日本一のクローザーからメジャー一のクローザーへ。そして、オフにロドリゲスがFA宣言。球団側の残留要求も実らず、ライバルチームのレンジャーズに10年間2億5200万ドルという破格の内容で移籍することになった。チームの精神的な支柱を失ったマリナーズだが、オフに日本で7年連続首位打者に輝いているイチローをポスティングシステムで獲得。かつてジョンソンの付けていた背番号51を受け継ぐことになった。

新しい1番打者を手にしたマリナーズは、2001年シーズン開幕と同時に快進撃を果たした。移籍のブレット・ブーンも生まれ変わったような勝負強い打撃を見せ、ベテラン左腕のジェイミー・モイヤーも20勝をマーク。シーズン116勝はメジャータイ記録であり、4年ぶり3度目の地区優勝を決めた。チームを引っ張ったイチローは、打率.350、56盗塁、242安打という大活躍で、MVPと新人王、首位打者と盗塁をそれぞれ受賞する活躍を見せている(しかし、リーグチャンピオンシップシリーズでヤンキースの前に敗れてしまった)。

連覇が期待された2002年、チームに怪我人が続出してしまい、これがチームの足を引っ張った。シーズン93勝をマークしながらも、アスレティックス、エンゼルスの快進撃により地区3位に終わってしまう。ブルペン投手陣こそ充実しているが、先発不足と打撃の決定力に泣いた1年である。そして、オフにはピネラが退団し、新たにボブ・メルビン新監督を迎え、2003年以降は更なる期待がかかるところである。

マリナーズは日本にゆかりのあるチームである。経営状態が悪かった1991年頃、シアトルサイドからの要請で任天堂が資本参加することになった。日本企業の資本参入に批判もあったが、依頼されてそれを引き受けたのが実状である。仮に任天堂が出資しなければ、今頃マリナーズはフロリダ辺りに移転していた可能性が非常に高い。ちなみにマリナーズ初の日本人メジャーリーガーは1996年のマック鈴木である。
(近日、大幅更新予定。。。)
<written by Kenji@webmaster>

マリナーズ・各年度別成績一覧

マリナーズ・球団名の変換史

  • Seattle MARINERS (1977~現在)

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